「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」東京国立近代美術館にて開催

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紅葉特集2017

熊谷守一没後40年の大回顧展が、2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)の期間、東京国立近代美術館で開催されます。スケッチや日記まで含めて200点を超える展示品が集められ、97年の人生をひたすらに生き、描き続けた熊谷の人生と、その創作の秘密に迫ります。

97年の人生をひたすらに生き、描いた画家、クマガイモリカズ

熊谷守一 《猫》 1965年 愛知県美術館 木村定三コレクション

花や鳥や虫、何気ない庭の一角。明快な線と色で身近なものを描く作品で広く知られる熊谷守一。一見おだやかに見える作品の背後には、科学者のような観察眼と、考え抜かれた制作手法が隠れています。
97年の人生をひたすらに生き、描いた画家の軌跡を存分に紹介する――それがこの、没後40年の大回顧展です。

熊谷守一とは

熊谷守一 1971年 (91歳) 撮影:日本経済新聞社

1800(明治13)年、岐阜県恵那郡付知村に生まれた熊谷は、1897(明治30)年に上京。1900(明治33)年、東京美術学校西洋画科撰科に入学し、黒田清輝、藤島武二らに師事しました。
一時帰郷して材木運搬などの仕事に就くも、再上京。二科会を中心に発表を続け、二科技塾の講師も務めます。
戦争を挟んで次々と家族の死に見舞われた熊谷。戦後、明るい色彩と単純化されたかたちを特徴とする画風を確立し、97歳で没するまで制作をおこないました。

熊谷は、こんな言葉を残しています。
「みんなはわたしのことをすぐ仙人、仙人と呼びますが、わたしは仙人なんかじゃない、当たり前の人間です……」

熊谷守一の実直な人柄が偲ばれる言葉ですね。

展覧会の構成※章のタイトルは全て仮題です

1章 画業の始まり(1910-1920年代)

熊谷守一 《某夫人像》 1918年 豊島区立熊谷守一美術館

1900年、熊谷は東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学し、黒田清輝らの指導を受けました。授業で人体のデッサンを学び、1920年代以降の裸婦像の基礎を作ります。また、闇の中でのものの見え方を追究するなど、早くから独自のテーマにも取り組みました。
1910年、故郷岐阜に戻り、材木を扱う仕事に就いたのち、再上京。山仕事の経験は生涯、作品や生活態度に影響を与えました。

2章 さまざまな模索(1930-1940年代)

この時期の熊谷は、絵の具を厚く塗り重ねる技法を用いて多くの裸婦像を描きました。また、山や海に出かけて風景画を制作してもいます。
こうした裸婦像や風景画の中から、くっきりした輪郭線と色に特徴付けられる戦後の作風が、次第にかたち作られていきました。
この頃に描かれた膨大な数のスケッチは、戦後の作品にも繰り返し使用され、熊谷作品の土台を成すものとなりました。
油彩以外に書や水墨画を手がけるようになったのも、この頃です。

3章 線と色の完成(1940-1970年代)

熊谷守一 《ハルシヤ菊》 1954年 愛知県美術館 木村定三コレクション
熊谷守一 《雨滴》 1961年 愛知県美術館 木村定三コレクション

戦中から戦後にかけ、くっきりした輪郭線と色を特徴とする、もっともよく知られた画風が完成しました。
熊谷は76歳の時に体を壊し、それ以後は自宅から滅多に出ず、庭の花や虫、鳥といった身近なものを描くようになります。しかしながら実は、こうしたモチーフのいくつかは、1940年代に描かれたスケッチに登場しています。そのことからも、長期にわたってねばり強く関心を持ち続ける熊谷の制作の特徴がうかがえます。

【展覧会概要】
名称:「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」
会期:2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)
会場:東京国立近代美術館
所在地:千代田区北の丸公園3-1
URL:http://kumagai2017.exhn.jp/

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