水木しげるの人生に迫る!貴重な作品や資料350点登場「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」開催

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松屋銀座では2017年3月8日(水)~3月20日(月・祝)まで、漫画家・水木しげるさんの人間像と人生に迫る展覧会「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」が開催されます。

水木しげるの人間像と人生に迫る充実の展示!

水木しげる

展覧会では、少年時代から亡くなるまでの作品130点以上、資料含む計約350点が展示されます。展示構成は5章+エピローグからなり、時代をおって彼の描いた絵画やスケッチなどを鑑賞できます。

第1章 少年時代 境港の天才少年画家

「思い」1936年

水木しげるさんは1922年に生まれ、鳥取県境港で育ちました。幼少期に近所に住んでいた「のんのんばあ」から妖怪や死後の世界についての話を語り聞かされ、眼に見えないことに興味をもつようになります。天才画家と称された少年時代の作品からは、素朴ながらも才能が溢れているのが見て取れます。

第2章 従軍時代 地獄と天国を見た水木二等兵

水木さんは1943年に太平洋戦争の召集で、パプア・ニューギニアの激戦地に送られます。戦友が次々と亡くなる「地獄」の中、水木さんも片腕を失う重症を負うことになります。この章では出征前の苦悩が読み取れる手記の原稿や、戦争体験から描いた戦記漫画、終戦直後の南洋で現地人を描いたスケッチなどが紹介されます。

第3章 貧乏時代 嗚呼、極貧生活

貸本漫画 墓場鬼太郎「怪奇一番勝負」 1962年

九死に一生を得て復員した水木さん。片腕を失っても絵描きへの情熱を絶やすことはありませんでした。鳥取の境港から神戸、東京へと居を移し、紙芝居作家から貸本漫画家となるも、原稿料はごくわずか。極貧生活からなかなか抜け出せない中、お見合い後5日で妻となった「ゲゲゲの女房」布枝さんが水木さんを支え続けます。

バナナを食べる水木夫妻 1989年

ここでは後の「ゲゲゲの鬼太郎」の原作となった貸本漫画「墓場鬼太郎」をはじめ、戦後に描いたどこか空虚さを感じられるスケッチなどが紹介されます。

第4章 多忙時代 さらば貧乏神

『週刊少年サンデー』版「河童の三平」連載5回目扉絵 1968年

1965年の「テレビくん」での講談社児童まんが賞の受賞が水木さんの転機となります。これを機に「少年マガジン」「少年サンデー」などでの連載もはじまり、「ゲゲゲの鬼太郎」のTVアニメ放送もスタート。極貧から一転、売れっ子生活になりました。代表的な水木漫画の原画や、当時使っていた日記、家計簿などが展示されます。

第5章 妖怪研究家 妖怪に取り憑かれて

「一反木綿」 1991年

売れっ子作家となった水木さん。戦時中に行ったパプア・ニューギニアへの再訪をきっかけに、50歳を超えた頃から意識的に仕事を減らし、かねてより興味のあった妖怪の研究に没頭し始めます。大漁の文献をもとに水木さんが姿を与えた妖怪たちは、私達がイメージする「妖怪」像に今でも大きな影響を与えています。この章では精密に描かれた妖怪画の魅力を紹介するほか、水木さんが世界中で集めた妖怪像・精霊像コレクションの一部が自宅に設けた妖怪倉庫を再現して展示されます。

エピローグ 水木しげるは永遠に

水木しげるとその作品たち1 2010年頃

家族との時間を何よりも大切にしていた水木さん。愛用のカメラで家族との日常生活を写真に収めていました。この章では、人間・水木しげるのプライベートな側面が紹介されます。水木さんが撮影した日常の写真や、布枝夫人へのインタビュー映像、40人以上の各界著名人からの絵馬による追悼メッセージなどで、水木さんが遺したもの、伝えたかったことに迫ります。

波乱の生涯をとおして描き続けた作品と、独自の哲学からうまれた名言、インタビュー映像などから、水木しげるさんが追い求めた「本当の幸福」が見えてきそうです。

 

■イベント概要
名称 追悼水木しげる ゲゲゲの人生展
会期 2017年3月8日(水)~3月20日(月・祝)
会場 松屋銀座8階 イベントスクエア
時間 10~20時※入場は閉場の30分前まで。最終日は17時閉場
主催 朝日新聞社
企画協力 水木プロダクション
入場料 一般1,000円、高校生700円、中学生500円、小学生300円
問い合わせ 松屋銀座 03-3567-1211(大代表)
公式HP http://mizuki-ten.jp/
©水木プロダクション

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